Method Happiness Project

☆主催・講師☆
仲 正樹(トニー・マサキ)
武部 奨(ススムOK)

記事一覧(20)

ヨガが、人の才能や表現能力を開花させる理由

現在、日本でも、全国にヨガを指導するクラスや教室は普及と発展に向かっている印象を受けます。私個人の見解ですが、以前は、ヨガというと、日本人にとって馴染みが薄いイメージがあったのではないでしょう?『ストレッチヨガ』の名称など、一般の人々にとって参加しやすい工夫もなされて、次第に認知されるようになったものと思われます。ところで、ヨガは、人々の心あるいは人体にとって、どのような効果があるのでしょうか?本日は、ここに焦点を当てて述べていきます。ヨガの本場であるインドの導師から認められて、日本においてヨガの普及に貢献されている畠山桂子先生(Juna先生)という方がいます。私自身、畠山先生のヨガレッスンを個人的に受けたことがありますが、衝撃的でした。畠山先生の場合、ただ単純に、体を伸ばすことによる心身のリフレッシュにとどまらず、ヨガ本来が持つ精神性を体感でき、人生を見つめる機会を参加者の皆さんと共有できます。ヨガを行なって気づいたことは、「これまで自分では絶対に行わない身体のポーズを実行する」という点です。つまり、ヨガ独特の専門的ポーズを行うということです。これにより、まさに『新しい風』を心身に吹き込むという結果を得られます。となると、どうなるでしょう?これまでの決まりきった習慣から脱皮を獲得するわけです。皆さん、部屋で過ごしているとき、通勤するとき、あるいは外でのプライベートな時間を持つとき、同じようなルーティンを繰り返していませんか?歩き方、座り方、職場への道のりなどなど。『お決まりの習慣』によって、自己表現にも幅がなくなる方向に進んでしまうと思います。ところが、ヨガを行うと、予想だにしなかったポーズに導かれます。しかも、自分で考えたポーズではありません。指導によって、良い意味で、強制的に、これまでやったことのないポーズを実行します。つまり、自己流ではないわけです。(ここが大きなポイントです!)自己流だと、自分の想定内からの表現の枠に留まります。ところが、専門家からの指導により、『(表現や知識に関する)新しい息吹』がもたらされるでしょう。(裏を返せば、自己流の限界を意味しています。)結論として、ヨガは、その人の表現や発想をより高みに、より広げてくれます。ヨガの専門的なポーズ一つが、身体に新しい角度をもたらし、肌そのものを活性化させ、心理にも影響します。それにより、気づかされることもあるでしょう。専門家によるヨガのプロフェッショナルレッスンは、『人の才能を開花させるのに充分な効果』があると思われます。そして、あらゆむ分野のアーティストにとって、この事実は見逃せないことは言うまでもありません。文:仲 正樹

天才俳優マーロン・ブランドが、友人と外でスポーツをしに行く際、放った言葉とは?

フランシス・フォード・コッポラ監督『ゴッドファーザー』にて、アカデミー賞主演男優賞を受賞。映画『波止場』や『欲望という名の列車』などに主演を重ね、演技の世界に革命を起こし、その功績から「20世紀最高の俳優」と評されているマーロン・ブランド氏。メソードアクティングスタイル(=体験の演技)を世界に広めた立役者といって良いでしょう。彼の生前、友人と外に出てスポーツをしに行く際に、放った言葉があります。それが、こちらです↓「細胞を震わしに行こうぜ!!」発想の大きさを感じさせてくれる、強烈なフレーズではないでしょうか?一般的には、「身体を動かしに行こうぜ!」「身体を引き締めに行こうぜ!」みたいな、範疇で、言葉にするでしょう。ところが、マーロン・ブランド氏にかかれば、身体を動かしに行く=『細胞を震わしに行く』となるのです。ただ、非常に『真実を突く言葉』だと思います。実際、一つの運動によって、私たちの身体の細胞は、どれほど躍動するでしょう。もしかしたら、人智を超えた事かも知れません。また、発想のスケールの大きさを感じさせながら、この言葉は『リアリティ』に基づいています。役の人生の真実に生きる演技を実現させたマーロン・ブランド氏ならではの言葉ではないでしょうか?『細胞を震わす』それは、マーロン・ブランド氏のオリジナルな言葉であると同時に、私たちそのものを的確に言い表しているものと思われます。文:仲 正樹

『腰痛』と「感情」との関係性

「感情は、腰に溜まりやすい」これは、俳優のための演技技術を理解する上で、知っておかなければならない知識の一つです。観客の前で役を演じる舞台上で、日常では経験しえない緊張を強いられます。独特の緊張です。それが過度になった場合、俳優は、時に腰が引けたような姿勢になることもあります。このとき、俳優個人の『感情』が腰に溜まり、本来の表現がしづらくなるケースに陥ります。そのため、演技トレーニングの際、ゆっくりと腰を回し腰を緩めるエクササイズも存在します。「感情は腰に溜まりやすい」この事実から、人々にとって、『腰痛』と「感情」の関係性は深いと私は考えています。喜怒哀楽の感情をナチュラルに表せない環境下に置かれた場合、どうなるか?『自己表現に関する外的抑圧』が作用し、不自然な感情表現を余儀なくされた場合、、、。やはり、感情は腰に溜まってしまいがちになる。そうなると、腰に負担がかかります。運動不足重労働デスクワーク。腰痛になる原因は数々あります。しかし、不自然な感情の流れが『腰痛』の原因であることは、決して外せないと思います。〜感情とは、目に見えないもの〜それ故に、私たちは、感情に対して、より着目すべきでしょう。自然な感情と、不自然な感情。現代人が、特に意識すべきテーマです。文:仲 正樹

『軽やかさ』にこそ、私達の幸せがある!

何か自分にとって嬉しいことがあって、心がウキウキしているときって、ありますよね?そんなとき自分の歩き方が、どのようになっているか、気にしたことがあるでしょうか?心の状態にとらわれて、身体にまで神経が行かない場合が多いかと思います。ここで、ある方の例をあげてみます!先月、東京にて、ビジネスマンの方々が集まる交流会に参加したときです。ビジネスコンサルタントをされている方が、会の途中から参加されました。しばらく食事を共にしたあと、コンサルタントの仕事があると伝えて、参加者の皆さんに挨拶をし、その方は会場を後にしました。そのときです!とても、軽やかな歩き方をしながら去っていかれました!おそらく、仕事の面でも順調なのでしょう。人生における充実ぶりが歩き方に表れていました。このように、心が朗らかであったり、ワクワクしていたりすると、歩き方や動作に表れます。また反対に、意識的に軽やかに歩けば、心の重みも取り去られると言っても良いでしょう。私の師であるニューヨーク・アクターズ・スタジオ正会員ゼン・ヒラノ氏曰く、「軽やかさは、アートだ」と断言しています。(※映画『雨に唄えば』のジーン・ケリーさんのダンスムーブメントをみれば、師の言葉の意味を知ることになるでしょう。)もし楽しいことがあり、軽やかに歩いている自分に気づいたとき、『アーティスト』になった瞬間かも知れません。軽やかに歩けば、自らがアーティストに成っている、、、。それが幸せの瞬間なのではないでしょうか!文:仲 正樹

ストーリー

今日の話題は少し、とっつきにくいかもしれない。「幼い頃における親との関係を追体験する」セッションを俳優訓練の一つとして長年行った。そこで僕が恩師から学んだことの一つは『感情』と『ストーリー』はつながっている、ということ。幼い頃の感情そのものを感じ取ることが目的だったのだが、感情そのものをダイレクトに思い出したりアプローチすることはできない。感情はあくまでも『思考』や『五感』の結果、だからだ。なので恩師は『当時の状況を肌で思い出しなさい』『出来事を思い出しなさい』と僕ら生徒にサジェッションしてくれた。感情は向こうからやってくるから、と。今、改めて思う。思考が作り出す「ストーリー」と「感情」は密接だ。逆に言えば「ストーリー」と「感情」を切り離すことができれば、感情エネルギーそのものを感じることができる。そこにはポジティブもネガティブもない。ただのエネルギーとしてそこにあるんだ。「ストーリー」と「感情」を切り離すのは、瞑想だったり、深呼吸だったり、五感に意識を向けることだったりする。「思考」を静かにさせたり、「思考」を俯瞰することでそれは可能になる。悲しみのエネルギーは一見、ネガティブだが「あいつのせいで、、、」「わたしが不甲斐ないから、、」などとストーリーを語ることを終わらせ、ただただエネルギーとして感情を感じること。そして、新たに新しいストーリーを語り出せば、それはポジティブな感情にもなりうる。(ポジティブ、ネガティブ、という言葉はあまり適切ではないが)新しいストーリーはこうだ。「なんだか胸の中がモゾモゾする。これは恋?」「この胸の感じ。まさに私は生きてる!これからが楽しみだ」恩師は言った。「舞台に出る前、俳優は不安でしょ。役だって不安よ。その不安を役に使うの。役も俳優もパラレルに生きてるの」感情エネルギーは、使い方次第。オセロが一瞬でひっくり返るように、感情エネルギーもいくらでもひっくり返せるんだ。

『楽』と『力み』の方程式

『楽』『楽しい』『楽しむ』『楽』を主軸にした、数々の言葉が存在します。ところが、このフレーズに対して、厳しい意見や批判を投げかけられる場面って、多くないですか?私も子供のときから、「努力しないと成功しない」とか、「楽をして、良いものなんて出来ない」などなど、親からも、先生からも、指導され続けていたことを覚えています。その結果、私個人のことですが、「苦労しないといけない」という思考に陥り、『心理的な力み』が、いつも脳裏に、もたげる結果となりました。ただ、これは、私だけではなく、多くの方々にも共通する思考経験だと思われます。でも、実は、実は、実は、、、。『楽』って、人間にとって、とても素晴らしい言葉であり体験であると確信します。○楽な気分だから、リラックスが生まれる。○楽しいから、心がウキウキして充実感に満たされる。『心理的な力み』から解放される。すると正反対に、リラックスが心身を満たす。つまり、生きていて幸せな気分になる。『楽』に関する、これまでの固定観念をとりあえず別の場所に置いて、『楽』というフレーズを体験したときの状態に目を向けてみましょう。楽しんでいる状態だからこそ、新しい発想が生まれるかも知れません!『楽』=リラックス ↔︎ 力み=苦悩文: 仲 正樹

太極拳の醍醐味をご紹介!

『太極拳』この拳法を知らないひとは、日本国内でも、かなり少ないと思われます。中国では、健康体操のように、利用されていて、朝、数十人の方々が集まって、広場で太極拳をしている映像とか、見たことがあるのではないでしょうか?ただ、このように観たことがあっても、実際にやってみたことがあるかどうかと問われれば、どうでしょう?本日は、太極拳の良さ・素晴らしさ(醍醐味)を私なりの視点で、お伝えしたいと思います。私の演技の師ゼン・ヒラノ氏は、ニューヨーク・アクターズ・スタジオ時代に、あるひとつの事実を知ります。スタジオの創設者リー・ストラスバーグ氏から、「太極拳こそ、俳優の身体訓練に最適である。」という教えを受けました。そこで、ゼン・ヒラノ氏は、日本に太極拳を広めたことで有名な 楊 名時(よう めいじ)先生に、太極拳を教わります。そして、ウースタイルという太極拳の型を、ゼン・ヒラノ氏は、日本にて俳優を志す人たちに、伝える仕事を続けられました。※私と武部奨も、師から、この型の太極拳を教わってきました。~ゆっくり、同じスピードで身体を動かすこと~これが、太極拳を行う上での、大きなポイントになります。一定のリズムで、スピードを変えずに身体を動かすことは、とても集中力が必要です。しかし、このポイントを忠実に守ることで、ある気づきが生まれます。それは、「心の乱れや不安が薄れて、いま、この瞬間に生きている実感が伴っている」ということです!この『気づき』は、日常生活では、なかなか実感しづらいことだと思います。太極拳は、独特の動きを、一定のスピードで動かすことによって、普段の生活では感じにくいレベルの『実感』が生まれます。太極拳ならではの、『いま、この瞬間に生きている』という名の、素晴らしき実感!!ぜひ、多くの皆さんに、この実感を体験していただきたいと思っています。私たちも、伝えていきます!文: 仲 正樹

しあわせを感覚に記録する

先日、中目黒にラーメンを食べに行きました。ここのチャーシューがとても美味しくて、麺も細麺でその食感も独特、スープは柚子醤油味を選びました。私の好きなお店の一つです。俳優訓練で、五感の記憶というものがあります。目、耳、鼻、口、皮膚の感覚でその時その時を再現し(思い出し)、役のシチュエーションを再構築するというものです。これは日常においても、毎日をかなりしあわせにしてくれるものです。このラーメンを五感で味わいました。「あぁ、美味しいなぁ、しあわせだなぁ」この感情、氣持ちを味わうのはとても大切ですが、感情・氣持ちはあくまでも「結果」なので後々この感情・氣持ちをダイレクトに思い出そうとしてもできません。感情を直接は扱えません。←ここポイントなので記録したい場合、この時の「五感覚」に特に意識を向けます。店の外は夕方で少し賑わっていて、スープの柚子の香り、チャーシューの食感、旨味、麺の弾力。感覚を記録します。(と言ってもむずかしく考えるとちっとも面白くないので遊び感覚で楽しみながら行なってくださいね)ブログを書いてる今、あの時を思い出してみると情景が目だけでなく、味覚や嗅覚などの感覚で思い出されてきます。もちろん100%思い出す必要もないですし、そこに想像も入っているでしょう。正確かどうかよりも、自分のこころ、氣持ちに変化があったかどうかが大切。そして、もう一つ大切なのは「できたってできなくたってどっちだっていいや〜」という氣楽さです。思考や分析は挟まず、少しほほ笑みながらやると思い出しやすくなります。こうやって、しあわせを日常で感じた時はその時のシチュエーションデータを感覚で記録、保存しておくことをオススメします。(俳優訓練ではこれを喜怒哀楽でやったりします)いつでもどこでも「しあわせなシチュエーション感覚データファイル」を開くことができたら、やみくもに外側にしあわせを求め探し回ることもなくなるかもしれません。忘れているだけで、もうすでに自分の中に「しあわせデータ」はたくさんあると思います。今まで、最高にしあわせを感じた瞬間はどんな時でしたか?それではまた。文︰武部 奨

「ただ、歩く」って、どういうこと?

皆さん、いつもブログ記事を読んでいただきまして、ありがとうございます!私から、ひとつ皆さんに質問があります!「ただ、歩く」って、どういう状態なんでしょうか?「ただ、歩く」 よく考えてみると、なかなか深い意味が込められているように思われます。皆さん、このフレーズ、あるいは状態をどう解釈されますか?私の解釈を述べていきます。人が歩く動作をするのは、何らかの目的があるからだと思います。◉コンビニやスーパーで買い物をしたいため。◉ウォーキングをして健康な身体の状態をキープしたいため。◉山の頂きに、到着したいため etcこのように、『〜のために、外に出かけて歩く』のが、「歩くという動作」の一般的な活用方法でしょう。しかし、これでは、『ただ、歩く』ということには、当てはまりません。目的が付着した時点で、『ただ、歩く』には、ならないのです。では、どうするか?簡単です!何の目的もなく、歩いてみましょう(笑)「どこに行こかな?」とか、あれこれ決めず歩いてみる。どこ当てもなく、歩いてみる!そうすると、どのようなことが起きるか?きっと目的という『足枷』が消えて、心身のリラックスが生まれることでしょう。皆さん、「〜ために」が、いつの間にか「〜しなければ」になっていませんか?それがstressになったりもします。〜ただ、歩く〜リラックスを知るために、一度、試みては、いかがでしょうか?文: 仲 正樹